Nujabes と、 haruka nakamura
15歳で上京してから長い間、アルバイトをしながら貧乏暮らしで音楽制作を続けていた自分にとって、20歳を過ぎた頃に突如、ヒーローのように輝く存在が現れた。
新しく、でも懐かしいような、あたたかい音なのに先鋭的な、あまりにも魅力的なサウンド。
幸福でありながらも切ないような、まるで美しい夕暮れがそのまま音楽になったような。
全てが環となっている誰も真似できない魂の音楽。
それがNujabesさんだった。
故郷青森の夕暮れから聴こえた音を鳴らしたいと田舎から出てきた自分にとって彼の音は、まさに鳴らしたかった音であり、尊敬するヒーローでありながらも、家で制作するばかりで何も発表出来ておらず、東京でもがき、溺れそうだった自分と対比してしまうと、やるせない気持ちもあった。その頃、音楽の道は暗闇のトンネルに迷い込んでいるような状態だったがNujabesさんという光に奮起させられ、ちょうどインターネットに音楽を公開出来るmyspaceというSNSが始まったことがきっかけで、意を決して初めて音楽を公開した。
それから間も無く、驚くことにNujabesさん本人からメールが届いた。
彼からのメッセージは一言。
「最高のギター、弾いてください」
その頃の僕はまだピアノを弾いておらず、ギターを中心にアンビエントやエレクトロ、ヒップホップなどを混ぜた音楽を作っていた。
彼のメッセージからは、Nujabesさんの音楽制作にギターとして誘ってくれているのか、「頑張れよ」という後輩への激励なのか、真意がわからず返答には考え込んだ。
「はい、いつでも」とだけ返事し、
それから、しばらく連絡はなかった。
でも、Nujabesが自分の音楽を聴いてくれたことだけは確かだ。
こんなアパートで作っている音楽がヒーローの耳に届いた。それだけで僕はこれまでの道が報われたような心持ちになったし、長く苦しんだ軌跡は間違っていなかったと思えた。
その後、正式にコンタクトがあり、鎌倉のNujabesスタジオで共に音楽を制作する日々が本当に始まった。
それは、夢と呼んでも足りないほどの時間だった。
時は瞬く間に過ぎた。
二人で過ごした何年かの風景、スタジオでの制作時間や、夕暮れの江ノ島へのドライブや、夜の海辺で乾杯した日や、逗子までご飯を食べに行ってたくさんの話をした時間は、今でもずっと僕の全てに影響を与え続けている。
原風景の青森の夕暮れと同じように、鎌倉の、遠くに江ノ島が見える夕暮れが心象風景に色濃く焼き付いている。
そういう意味で僕には「二つの夕暮れ」がある。
あれから10年の月日が経った今も、新しい曲が出来ればいつも、Nujabesさんが聴いたらどんな言葉をくれるだろうかと想像して、今日も音楽を作り続けている。
haruka nakamura
Nujabes
1974年2月7日生まれ、東京都港区西麻布出身の日本のトラックメイカー/DJ。“nujabes”は本名の瀬場淳(せばじゅん)のローマ字表記(=Seba Jun)を逆から読んだもの。95年頃より活動を始め、自主レーベル〈Hyde Out Productions〉を設立。2003年に1stアルバム『Metaphorical Music』を発表。パリのコム・デ・ギャルソンのファッションショーでの音楽ディレクターやアニメ「サムライチャンプルー」音楽を担当するなど枠を越えて活躍。ジャズやヒップホップをベースにした美しくメロウなトラックで、世界中から絶大な支持を得る。2010年2月26日、交通事故により逝去。36歳没。Nujabesの音楽は没後10年を超えてなお、国内外のファンに愛されており、2018年にはSpotifyで「世界で最も再生された国内アーティスト」の第3位にランクされた。
