星野道夫 と、 haruka nakamura

Nujabesさんが亡くなり、尊敬する師匠と大切な友人をいっぺんに失くした心情になったあの当時、僕は音楽活動を続けることに希望が持てなくなってしまった。
その後、偶発的に自分の「トワイライト」という曲を逆再生したことで「光」という曲が生まれ、その曲が文字通り光となって背中を押してくれた気がして、青木隼人さんとFOLKLOREというユニットを組み、ギターを抱えて全国で小さな演奏会をして巡り何年も旅をした。たくさんの人と出会い、手作りのライブで音楽を届けた方々からエネルギーが循環され、こちらが治癒されていくような再生の旅と言えたのかも知れない。

FOLKLOREとして初めて音を鳴らした場所が、雑誌SWITCHの事務所の地下にあるrainy day bookstore & cafeだった。僕は活動初期の頃から、そこでよくライブをさせて頂いていた。閉店後のrainy dayでのセッションがきっかけで旅は始まった。
それまで、ずっと部屋で篭って深夜から朝まで音楽を作っており、旅などしたこともなかった。
きっかけとなったrainy dayには、旅人を代表する写真家・星野道夫さんの本がたくさん置いてあった。
「旅をする木」という本を購入し、片手に旅を続け、いつしかその一冊が僕にとって人生のテーマとなった。

旅の中でたくさんの人や風景と出会い、たくさんの別れを繰り返し、時が過ぎた。
その中で何度も星野さんの言葉や写真に救われた。
真夜中の海でオールを漕いでいるような時も、遠くに光る灯台のように、明日への指針となってくれた。
音楽が誰かにとってそんな存在であるかのように。

やがてコロナ禍で旅が出来なくなり、長く続いていた旅の終わりを決め、星野さんが少年期に憧れた北海道に移住した。北国は僕の故郷でもある。

北海道ではまた制作に打ち込む日々が始まった。
最初に取り組んだのがTHE NORTH FACEの音楽だった。ノースフェイスが星野さんの活動をサポートしていたご縁もあり、長く夢に描いていた星野さんの写真展で演奏会をするという企画が実現した。
東京都写真美術館で映し出された星野さんの写真と言葉と、共鳴するピアノ。まさに音楽のある風景。
僕もようやく星野さんのメッセージを伝える種まきの一人になれたような、感慨深い時間だった。

2024年には帯広美術館にて星野道夫さんの巡回展が開催。星野直子さんと共演させて頂くこととなり、星野道夫さんとも縁の深い北海道の地で、スクリーンに大きく映し出された星野さんの写真と、直子さんによる朗読との共演という、本当に夢のような時間だった。
ご家族にも見届けて頂き、皆で食事をして大いに語らった。星野道夫さんという存在は自分の中で、よりたしかな温度を感じられる存在となった。

そんな道のりを見てくれていたNujabesさんの元マネージャーさんが、実はNujabesさんは星野道夫さんの写真集が好きで、アルバムジャケットに検討したりしていたのだと教えてくれた。また、弟さんと話したら二人はかなり近くの同郷だったことがわかり、これまで繋がっていなかった、僕の中で最も大切な2つの星の点と点が、円のように結ばれていくような線が見えてきた。

そして2025年。その故郷である千葉県市川市の文化会館にて、星野道夫さんの写真展にあわせて三度目の「旅をする音楽」を開催。故郷に赴き、まず星野直子さんと共に星野道夫さんのお墓参りをさせて頂いた。それは静かな雨が降る優しい時間で、この先、ずっと忘れることはないだろう。そして、ゆかりの喫茶店や神社、学校、川沿いの道を案内して頂き、星野道夫事務所で貴重なポジフィルムなどを見せてもらった。その様子などを収めたドキュメンタリー映像も制作、上映。故郷とあって演奏会には星野道夫さんの縁深い方々も多くご覧頂き、忘れられない大切な日となった。

僕は偉大な2人から何か大切なものを少なからず受け取っているように思うし、次の世代にそれを伝えるバトンを渡す役割のようなものが出来たら良いと勝手ながらに思う。
できるだけ色々な側面から丁寧に伝えられたなら。
まだまだ、長い旅の途上である。
こうして蔦屋書店での取り組みで2人のことを一本のラインに繋げて紹介させて頂くことも、その小さな一歩であるように感じる。

世界はいま
「もうひとつの時間」を想うことの大切さを
もう一度、たしかめる時かも知れない。


haruka nakamura

星野 道夫(ほしの・みちお)写真家

1952 年 9月27日千葉県市川市に生まれる

1968 年 慶應義塾高等学校日吉校入学

1969 年 移民船「あるぜんちな丸」でロサンゼルスへ渡り、約2ヶ月間アメリカを一人で旅する

1971 年 慶應義塾大学経済学部入学、探検部入部

1973 年 アラスカ・シシュマレフ村でエスキモー一家とひと夏の生活をともにする

1976 年 慶應義塾大学経済学部卒業。写真家・田中光常氏の助手を2年間務める

1978 年 アラスカ大学野生動物管理学部入学し4年間在学

1986 年 写真集「グリズリー」で第3回アニマ賞受賞

1990 年 『週刊朝日』連載「Alaska 風のような物語」で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞

1993 年 結婚

1996 年 テレビ番組取材同行中、ロシア・カムチャツカ半島のクリル湖にてヒグマの事故により急逝

1999 年 1999年度日本写真協会賞・特別賞受賞

2004 年 市川市より名誉市民の称号を贈られる

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