牧野伊三夫 と、 haruka nakamura
「旅と風呂と酒場、ときどき音楽」
東京で暮らしていた頃。
音楽の旅を終えてかえると、しばらくは一人の時間を過ごしていた。夕方にフラフラと銭湯に行き、風呂上がりに酒場や蕎麦屋で文庫本を片手に一人で呑むのが好きだった。よい銭湯を探して電車に乗り、あちこちの街を訪ねた。
井戸水の質が良い武蔵境の境南浴場という銭湯が特に気に入り、それから武蔵小金井の大黒屋という居酒屋へ寄る流れに夢中になった。その日はFOLKLOREの相方だった青木隼人さんと、いつも通りホッピーと焼き鳥をたのんでいい気分の折、隣のテーブルから声をかけられた。
それが、画家・牧野伊三夫さんだった。
牧野さんは青木さんの知り合いで、僕を紹介されるとはじめは「ふむふむ」というかんじだったのだが、しばらくたつと、ふいに声をあげて「もしかすると、君は"小倉の思い出のCD"の音楽家かね?女性だとばかり思っていたよ、ワッハッハ」と、わけのわからないことを言いだした。話を聞くと、牧野さんは彼の故郷・小倉のアトリエで僕のアルバムをリピートして聴きながら絵を描いてくれており、アルバムジャケットを無くしたので、CDの盤面に"小倉の思い出"というタイトルを勝手に書いて記憶していたということだった。
うまそうに酒を飲む牧野さん。
酒場の愉しみ方を熟知していた。
僕はめずらしく、すぐに心をひらいて地元の津軽弁で「まんず、まんず」と、話していた。
それから我々は意気投合して連絡を取り合っては二人でいろいろな銭湯や居酒屋、バーなどを巡った。
中野、高円寺、吉祥寺、銀座、三軒茶屋、、。
牧野さんは僕の愛する道の大先輩だった。芸術家としても。ともに時間を過ごし、牧野さんの経験から生まれる言葉や、その古きよき時代の価値観を貫く生き方にふれるたびに憧れていった。
牧野さんの故郷・小倉にも訪れて、街を案内してもらいながら何軒もハシゴして飲んだり、五島列島の無人島の教会でピアノを演奏して牧野さんは絵を描いたり、隠れキリシタンの足跡を辿る旅をしたり、友人の映画館リベルテで真夜中に小津安二郎作品を飲みながら観て寝てしまったり、いくつもの大切な記憶がある。
ただの飲み友達として夢のように飲んでばかりいたのだが、終わりが訪れてしまった。
僕は25年暮らした東京を離れて北国へ移住することにした。
東京最後の日。牧野さんが送り出してくれた。
二人でいつもの大黒屋に行った。
店の前には「今日は飲んで、明日は仕事」という看板がある。いつもの看板を愛おしく眺めて別れの挨拶を告げた。
東京と北海道。さすがに今までのように飲めなくなってしまう。それだけが心残りだったのだが、我々はそんなことでは挫けなかった。
なにかしら作品を作れば、それを理由にまた二人で旅をして飲めるということに気がついたのである。
夢を叶えてくれたのはデザイナーの鈴木孝尚さん。
場所は岡山県牛窓という夕暮れが美しい海辺の街。
御茶屋跡という歴史ある場所で滞在制作をし、牧野さん考案のメニューを作り飲み明かした。夜の海辺にギターと酒を持っていき、月明かりの下でともに歌った。
昼は絵とピアノでセッションしたり、地元の牛窓中学校で音楽の授業を行い、学生たちと「牛窓のうた」を制作。卒業式にも二人で参加した。
本当にかけがえのない時間だった。
それからも東北の盛岡や、牛窓クラフト散歩で二人のライブを行い、牧野さんのアトリエや御茶屋跡で何度もセッションを繰り返した。
牧野さんは僕にとって、不思議な存在だ。
生きてきた時代も年齢も住む場所も離れているけれど、牧野さんがこの令和のいま、あのような生き方で存在してくれているだけで、なんだかホッとする。
それはありのままであるという姿勢。
僕にとっては「もうひとつの時間」のようなものなのかもしれない。居酒屋での偶然の出会いに、いつも感謝している。
haruka nakamura
牧野伊三夫(まきのいさお)
1964年生まれ。画家。平面作品のほか、音楽家との即興制作、窯元で器の絵付けなどを行う。著書に『僕は、太陽をのむ』(港の人)、『かぼちゃを塩で煮る』(幻冬舎)、『画家のむだ歩き』(中央公論新社)、『牧野伊三夫イラストレーションの仕事と体験記1987-2019』(誠文堂新光社)、『山へ行った画家が丸太の弁当をつくって林業の応援活動をはじめた話』(あかね書房)など。美術同人誌『四月と十月』同人・発行管理人。雑誌『POPEYE』で「のみ歩きノート」連載中。東京都在住

