クロヌマタカトシくんに会いに行く。


三月に奈義町現代美術館で行なわれたクロヌマタカトシ「現象」展示最終日に、クロージング・インスタレーションとして、僕ら二人での時間があった。

沈黙。
彼の朗読。
僕がピアノを弾く。
静寂。
それを打ち破る、鑿を打つ音。
点を打つ。
彫刻家の影。

一時間半ほどのセッションの中で作品が完成することはない。何かが立ち現れて、生まれていくさまがありありとそこにあった。ひたすらに点を打つクロヌマくんには五つの星が、やがて星座がそこに見えていたと言う。


五月。
その作品が完成し、彼のアトリエに届けられたという報せを聞いた。
僕は一人で電車に乗って、彼のアトリエを訪ねた。

そこはなぜか、初めて来たのにとても懐かしい空間だった。強い既視感があった。白い布ごしに窓から差し込む淡い光。彫刻を削った木の香り。雀たちの声。柔らかい風。子供の頃にここに居た気がする。或いは、僕はここで珈琲を飲みながら作曲をしていたことがある。そんな気がする。
クロヌマくんと僕に流れている、遡るとひとつになる川があるのだろう。

アトリエに入るとすぐに、その像はそこに居た。
畏れを感じる。手を合わせたくなる。
小さな頃から惹かれて会いに行っていた、地元の寺の奥にいる大きなお釈迦様を思い出す。
同じ目をされている。

慈愛。
像は変化していく。
水分で、空気で、そして時と共に持ち主に似てくるらしい。
そして、やがて朽ちていく。
音楽はあの時間に過ぎて行った。
像はカタチに残ったが、それも、永遠ではない。

アトリエにはfloating pointsとファラオ・サンダースによるPromisesのCDがずっと流れていた。
本棚には岡潔も河合隼雄も佐治晴夫もキース・ジャレットもあった。僕の音楽部屋の本棚と似ている。
本たちを帯の色で分けて並べており、そのグラデーションがとても美しい。
まだ手をつけていない、材料となる原型の木の皮を剥ぐところを見せてくれた。
楠木の香りが、まるで花が開くように広がった。
彼は、ここで木と何時間も向き合う。
何日も。一人で。
やがて、なにかが見えてくる。
点を打つ。

時間が経った。
二人とも別の部屋でそれぞれ静かに過ごしたり、彼は雀のために餌を用意したりしていた。

作品を生んだ木を見に行くことにした。
樹齢500年の御神木。
台風で倒れたことにより、それまで寺を守ってきた大きな楠木は、引き寄せられたクロヌマくんと出会い、作品となった。

駅まで送ってくれた車中でクロヌマくんは
「ハルカさんと、また星を見たいです」
と、言った。

点を打つ。
打った点は暗闇の中で、星のように輝く。
星座のように、おり重なる。

駅で別れる時に握手をした。
彼の大きな手は
驚くほどに柔らかな手だということを思い出した。
この手で鑿を打っている。
祈り人の手は、優しく
哀しみと慈しみを携えている。